迷作?『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』、私はこうみた。


酷評、酷評、また酷評である。

シャフトが放つ渾身のアニメーション映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』が公開直後から様々なレビューサイト、あるいはSNSで軒並み低評価をつけられている。しかもこれが結構な低評価(これを書いてる時点で映画.comは2.5、Yahoo!映画は2.6、Filmarksは2.7である)。基本的に映画サイトの新作レビューは割と評価が甘くなりがちな気もするが、ここまで酷評の多い新作映画(しかも大規模上映)は久しぶりな気がする。

岩井俊二ファンでありシャフト作品もよく観てきて、公開初日に本作を観てきた僕としても、確かに想像してたものとは違ったし、皆さんの言わんとする不満点も大いに分かる。分かるのだが、少し待って欲しい。

本作は見方を変えれば青春の甘酸っぱさを、ある意味ストレートで、しかしかなりの変化球で表現した作品なのだ。たぶん。

 

そもそも何故ここまで評価が低いのか。自分が考えるのは以下の3つの客層が多かったからだと思う。

①勝手に『君の名は。』を期待した人

前年に劇場公開され空前の大ヒットを記録した『君の名は。』と本作は「少年少女」「アニメ作品」「時間を超える」という共通点があり、メインビジュアルのキャッチコピーにも「何度でも君に恋をするー」などと記述した結果か、恐らく『君の名は。』を期待した人が多かったのだと思う。実際にレビューを見ると「『君の名は。』の二番煎じ」「劣化版『君の名は。』」などの評価が散見されるあたり、「『君の名は。』があれだけ面白かったから、同じ系統っぽい青春アニメも面白いに決まっている!」くらいの気持ちで観に来た人が多かったのだろう。しかし本作は『君の名は。』と比べるとだいぶ大味というか、映像も脚本もかなり癖の強い作品なのでそうした人達にはピンとこなかったのかもしれない。

②岩井俊二ファン・原作ファン

原作である岩井俊二監督には熱烈なファンも多いし、彼の作品自体独特な雰囲気があるのでそれを期待して観に行った人にもウケは良くなさそうだ。そもそも原作も雰囲気ウケというか、時代性・ノスタルジー感の強い作品だったのでシャフト節全開の映像作り、あるいは大きく変わった脚本には拒絶反応が出たのではないだろうか。

③菅田将暉、広瀬すずファン

菅田将暉や広瀬すずという人気役者をメインに据えた割に作品の癖が強すぎる。ので、それぞれのファンで観に来た人の反応も良くはなさそうだ。

あと正直、菅田将暉の演技が上手かったとか合ってたとは全く思わないんですが、そもそも24歳の菅田将暉(しかも声優は本業じゃない)に中学1年生の声を当てろというのが無理がある。いくら売れっ子だからとはいえ無茶なマーケティングだ。なのでこれは無理に起用した製作側が悪いと思う。あ、広瀬すずさんのなずなの演技はとてもエロくて個人的には好きでした。

上記のような理由が重なって近年稀に見る酷評の嵐になってる気もするが、個人的には見方を変えれば甘酸っぱい胸キュン映画になると思っていたりする。別に天邪鬼で言うわけでなく。だから世の酷評を真に受ける前に一度観てみて欲しいのだ。

(以下、多分にネタバレをします)

(あと個人の主観がめちゃくちゃ入ってます)

本作、『打ち上げ花火〜』は男子中学生の「俺が考えるクラスのあの娘と過ごす理想の夏」を、目一杯可視化しただけの映画だ。それ以上でもそれ以下でもないと思う。だから説明不足とか意味不明とか、そう感じるのは当たり前だ。だって男子中学生の妄想だし。 

厳密には最初に典道がタイムリープするシーン -つまり典道が水泳勝負に負け、なずなは親に連れ去られ、典道が祐介を殴ったあとー 以降の話、これは全部典道の妄想次に現実の話になるのは、ラストの教室のカットだけだ。

本作のラスト、それまでのファンタジー世界からいきなり場面切り替わり学校のシーンが入る。そこで先生が出席をとると、典道となずなの姿はなかった。そしてエンドロールが始まり、この話は終わりを告げる。

その前までのファンタジー超展開からすると余りに唐突なので「?」と首を傾げたくなるシーンだが、なんということはない。だってそこまでの話、全部妄想だから。そしてこのシーンが、それまで繰り広げられた摩訶不思議ワールドが全部典道の妄想だったのではないか?と僕が思った一番の原因でもある。

仮にですよ、仮にロマンチックな終わり方を考えるなら

①典道となずなは本当に不思議な世界へ消えてしまった。

②典道となずなは駆け落ちして東京へ行った。

なんていうオチも考えられる。

でもそれだとオカしいのだ。

そもそもラストシーンが花火の日から何日後なのか明確ではないが、多分2学期の初めじゃないかと思う(花火の翌日の登校日かもしれないが)。

しかし担任の先生は典道の名前を呼ぶとき「あれ、典道君は?」といった感じで点呼を繰り返した。①や②の結末であれば典道は夢の世界かあるいは東京か、どっちにせよ現実のあの町から消えているわけである。そんな事があれば普通に考えて問題になるし、両親から学校に連絡が行くだろうし、クラスの話題にもなりそうだし、先生の耳にだって流石に入りそうなものだ。

しかし先生は典道が居ない事に疑問を感じているようだった。つまり典道は普通にあの町に居るはずで、単に学校に来ていないだけという事になる。なずなは点呼をとっていないが、もし本当に転校したなら点呼を取らないのはなんの不思議もない(単に典道のほうが出席番号が早いだけかもしれないが)。

僕の考えた結論をいうと、なずなは本当に転校してしまったから(あるいは親から外出を禁じられたから)居ないだけだし、典道は友人をぶん殴ってしまった気まずさから登校できなかっただけなのである。(最後に少しだけ映った祐介のスカした表情もそう思った一因だ)

…いや、もっとロマンチックな観方もできるんですが、それだと余りに普通の作品になってしまうし、何より最後の教室のカット要るか?って思ってしまうんですよね、ええ。

現実の典道は水泳勝負に負け、好きな女の子も救えず、挙句友人をぶん殴ってしまって家から出られなくなった哀しい存在というだけではないか。

そんな哀しい典道の妄想 ー もしあの時俺が水泳勝負に勝っていたらー という「if」を映像化したのが本作なのだ。男なら誰しもがしたような、ひと夏の甘酸っぱ〜い、しかし現実とかけ離れた哀しい妄想を映した作品なのだ。

典道もタイムリープした世界で平べったい花火を観て「こんな世界あり得ない」と言った。当然だ。そもそもお前の妄想だから。
じゃあ本作は少年の哀しい妄想を描いただけの作品なのか。確かにそうかもしれない。しかし典道に自分を重ねて考えてほしい。ひとつの選択肢を選べなかった為に過ごせなかった、クラスのあの娘との理想の夏……何とも切実で、しかしどうしようもない、甘酸っぱい夏ではないか。取り返せない「もしも」の世界、そんなひと夏のピュア過ぎる「もしも」を映像化した作品が、『打ち上げ花火〜』なのである。最終的に再会を果たす『君の名は。』とは全く、もう全然違うテーマの作品なのです。

もうこの考察自体僕の妄想かもしれませんが、とりあえず未見の人は一度観て判断してほしいのである。そしてもう観て単に意味不明な駄作だと思ってる人は、少しだけ観方を変えてほしい。そんな感じの感想でした。


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