文化的童貞の卒業

文化を愛する全ての人に読んでもらえたなら嬉しい。

 私が中学生の頃の話であるが、学内でも特におませな友人Wが、「童貞卒業は女子とエッチした時じゃねえんだよなぁ。そいつと別れた時なんだよなぁ・・・」 と豪語していた。むろん当時は1ミリも理解出来なかったし、女性と手も繋いだ事の無かった私は、彼の女性遍歴やエピソードが本当に羨ましかったから、すさまじく腹が立っていた。なんなら彼を少し嫌いになっていた。馬鹿にされてもかまわないけれど、中学生男子なんてそんなもんだと思う。(今でもそういった精神性が多少なりとも残っているともいえなくもない)

 しかし、あれから随分と時間が経って、過去を振り返ってみると彼の言う事も正しい気もする。「抱擁で知る異性の柔らかい、あるいはゴツゴツとした肉感、『関係性の始まり』を示す前戯の異常なほどの興奮から、あっという間に結ばれ、果て落ちていく」という肉体的な変化と、「この人しかいない!」といったくらい強い気持ちでお付き合いして、関係を持った相手と別れた時のどうしようもなさや、心の低い所にどろんと溜まった残滓(こんな風に書けば聞こえが良いが要は、ひきずるというやつだ)を感じる精神的な変化は、相似形を描いているようでもあるが、精神的な変化の方が実は圧倒的に大きく、「恋とはどんなものかしら」と悩める思春期の人格に大きな影響を与えているように思う。だからこそ、精神的な変化こそ童貞期の終わりと語るWはあながち間違っていなかったようにも思えるのだ。

(これでも生々しさはなるべく抑えたつもりなので、細かい所はご容赦頂きたい)

そして、「大いなる蜜月の後に迎える喪失」という意味で童貞を捉えるのであれば、私はそれを「音楽」の分野で、非常に近い感触を覚えた事がある。そしてその体験を私は「文化的童貞の喪失」と呼んでいる。

  • 文化的童貞の世界で一番暑い夏

 当時は第x次バンドブームだったと思う。みんなバンプオブチキンやアジカン、銀杏BOYZやradwimpsも聞いていた。(田舎だからブームが少し遅れてやってきているのは言うまでもない) そんな中、自分もバンド大好き小僧の一人として、ひたすらに毎日ギターを弾いていろんなバンドを聞いていたし、どんどんバンドに詳しくなった。そして周囲の友人知人たちは、私の知識量を褒めてくれたし、自分もそれが嬉しくてどんどん追い求めるようになっていった。

 そして、それと同じ経験はネットレーベル文化に勢いがあった時期にも感じていた。マルチネ、アルテマ、分解系・・・言い出せばきりが無いほど毎日国内外のレーベルを聞き込んでいたし、カルチャーが成熟していくにつれて、友人も増え、私は同じような満たされた心地でような毎日を過ごしていた。

 自分が追い求めたものを回りも追い求めている。自分が深みにはまれば、その分、周りにも評価してくれる。自分の好きな事を追い求める中で、承認欲求や自己実現が図られていく。まるで自分が文化の中心や最先端にいて、その渦中を体験出来ているような感覚を覚える。自分と文化の蜜月のような関係性(その錯覚)がそこにはあった。

 何もそれは音楽に限った話ではない。小説や批評、映画、絵画に舞踊、ファッションにゲーム・・・、はたまた、政治や経済だって、各々が周囲を振り返りったり、著名な人について調べてみると、多くの人が同じような、この青春とでも呼ぶべき、暑い夏を駆け抜けるような経験をしていると思う。

 また、他のどの文化でも同じで、それらは永遠ではない。(どんな文化にも長さやサイクルの違いはあるにしろ、)流行るものがあれば、終わるものもある。テクノロジーや経済などの文化の受け皿たる社会構造の変化や、文化を享受するファンの層が大きく変わる中で、文化の変容は見受けられる。その中で、自分と同じものを追い求めた友人たちが離れていく事や、自分が追い求めたもの、手にしたはずの最先端のが古臭いものや意味の無いものへと少しずつ形を変えていく事を経験した人は決して少なくないはずだ。

  • 続・「元カノはどうやっても美しい現象」

 そのような変化を経ていくと、思い入れが強い分、「あの頃はよかった」「今の○○はダメだ」なんて言い出してしまう事がある。「今のロックはクソだ」「今のアニメはメッセージ性がない!」「小説は純文学からかけ離れてしまった」ひいては、「今の社会はダメだ」といった言説の一部はかつて、自分がそれらにどれだけ入れ込んだかという事の裏返しにもとれる。

 私だって、聖人君子ではないし、色んな分野で様々なものに触れるにつけ、そんなことを言い出したくもなった。それこそ、以前にMOGAKUの記事で私が書いた思い出はどうやっても美化されていく「元カノはどうやっても美しい現象」にとらわれていってしまっていたのだ。

大いなる蜜月を経験した後の喪失感、なるほど、これは「文化的童貞」を喪失した瞬間と言えるのではないだろうか。

  • 実りの秋を迎えるために

 私は何も「いつでも新しいものが最高、今だけを生きろ」なんて、私は到底言えない。あまり口には出さないけれど(純粋に必要がないと思うから)、私だって音楽や小説で、今より昔の方が好きなものが数多く存在する。でもそれは過去の文化だけが素晴らしい理由付けにはならない。ただ、あらゆる文化は常に文脈の中で相対化されていくものだと思うから、「明治文学にありがちな高等遊民の退廃的な思想が好き」「90年代独特のあのグルーヴが最高!」といった形で相対化した上で好んでやればよいと思う。特に初めての相手は特別だと言うが、元カノが好きだからと言って、他の周りの女の子が可愛くないことにはならない事にも近い。あまりきれいなたとえ話ではないけれど。

 何かに入れ込んで、それを失って・・・、そこではじめて自分の中で相対化が始まると思うからこそ、そこから過去に拘泥せず、自分の中に宝物と新しく出会う何かと、二つを突き合わせていたいと、常々思うのだ。

 それは、いつだって良い出会いばかりではないかもしれない。けれども、そのうちまたひょっこり何かのタイミングで別な素敵なものに出会えるかもしれない。好機はいつでも目の前にぶらさがっているかもしれない。