それは神の生誕の日――西脇順三郎「天気」

ぶっちゃけた話、ネタに困ると短くて手ごろな詩の話題を取り上げているというだけなのでまったく詩について審美眼も教養も持ち合わせていないのですが、今日もネタがないので短い詩を紹介します。近現代詩警察の方はどうかなにとぞご容赦願います…っているのかそんな奴?

閑話休題。

西脇順三郎は戦前から戦後にかけて長く活躍した日本の詩人・英文学者です。ノーベル文学賞の候補としても数回にわたって推されていたとか。まぁその辺の事情や略歴はwikipediaに全部書いてあるので興味のある方はそっちをご覧ください。今日紹介したいのは次の詩です。非常に短い三行詩。

 天気

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。

いや、どうでしょう。かっこよくないですか?そうでもない?

最初の一行、「(覆された宝石)のやうな朝」のとこで目を引かれた方もいるかもしれません。…とかいって、実は私がそうだったという話なんですが、初めて読んだとき(ネット中に見かけたんですが)、ハッとした強い印象を受けたのを覚えています。

ところでこの突然ついている括弧なんですが、これなんなんでしょうね。そう思ってちょっと調べたところ、どうもイギリスの詩に表現の元ネタがあって、それに括弧つけたら面白いんじゃないか、ということらしいです(詳細はここを参照)。削ってみるとこうなる。

覆された宝石のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。

なんかこう、うまく言えませんが、やはりなんかちょっと違う気がしますね。そのまんま流れていってしまう感じがします。括弧がつくと「覆された宝石」の部分だけが目に入って、そこから「朝」のイメージに改めて接続しなおされるような感じがあります。鮮烈さがある。証拠も何もないところで印象論を語ってて申し訳ないんですけど…。とにかく、括弧のあるなしだけでも結構印象が異なるというのは、なんだか不思議です。

括弧自体は当然ありふれた記号ですし、私も普段文章書くとき括弧をむやみに使用する傾向があるんですが、こんな効果のでる使い方を見たのはこれがはじめてです。こういうのを見ると、やっぱり詩人ってすげーな、と思いますね。

ちょっと短いですがこの辺で。また来週。

くろさわ

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労働の対価をだいたい飲料に費やす水飲み百姓。飲み物以外の話もときどきします。
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