中森明菜 – “不思議” (1998)
世のヴィジュアル系シンガーたちにも多大な影響を与えた中森明菜の不思議なアルバム「不思議」です。
中森がハワイで出会ったディゴドンという人形をモチーフとした衣装・メイクが施されたジャケットデザインからして異彩を放つ本作は、デビューから9作目にあたり、中森本人による初プロデュースのもとEUROXととの共同制作により極めてコンセプチュアルなアルバムとなりました。どのようなミュージシャンにも長い活動期間の中で音楽的変遷は付きものかと思いますが、この「不思議」はキャリアを眺めた時に後にも先にもない突出してイレギュラーな作風で、とにかく音響面においてかなりのトガりをみせています。徹頭徹尾すべてのトラックに共通して施されたヴォコーダー処理、深淵なリバーブ。そしてなんといってもミキシングによるボーカルトラックのバランス。この主旋律の音量レベルがすごく小さい……!
本作発売後、レコード会社に購入者から「ヴォーカルがよく聞き取れない。不良品ではないのか?」との問い合わせが絶えなかったという。
これはメインストリームのいわゆる流行音楽ばかり聞くような層でなくとも、あるいはアイドル的歌姫 中森明菜を聴く前提でなくとも一聴して違和感を覚えるはずです。歌モノの楽曲というものはきちんとそのような造りに設計されているものでしょうし、実際しっかりとメロディは付いているのです。むしろボーカルトラックだけ取り除いたカラオケのようにして、インストゥルメンタル作品として聴いたほうが自然に耳に入るのではないかと思うくらいです。しかしそこは流石プロのエンジニアの仕事。ボーカルが演奏に埋もれるわけでなく楽器陣の一部として機能するよう調整されている仕上がりは絶妙です。違和感というのがまさにそのまま、中森が自ら提示した“不思議”というコンセプトに則った感覚で、それは楽曲世界への入り口となり、聴き進めていくうちに”不思議”と体に馴染んでいく仕様であるように感じます。
1回目のトラックダウン終了後、中森は「そのミキシングでは”カッコいいけど、不思議じゃないネ?”」と発言[9]。その後、コ・プロデュース的に関わったEUROXによるアレンジに変更[10][9]。サウンドとヴォーカルがひとまとまりとなって聴こえる2回目のトラックダウンが行われた[9]。ミキシングに関しては、もともと中森のアイデアにより、ヴォーカルを小さく処理したとディレクターの藤倉は明かしている[9]。
音響のインパクトがあまりに強いですが、楽曲も引けをとりません。編曲においても大きく関わっているEUROX(後に有名楽曲”TATTOO“を作り上げます。)のプログレッシブ・ロック性を引き出していることも、他の作品と一線を画す要因のひとつでしょう。上記のコアなサウンド・プロダクションと強靭な演奏との絡みあうことで産み落とされた作品は、86年という時代において最先端のネオサイケデリック音楽を実現した、という見方もできるでしょう。中森明菜をよく知らない音楽ファンの方にこそ、ぜひ「不思議」を奨めたいです。
また、「不思議」のリリースから2年後に発表されたミニ・アルバム作品「Wonder」も併せて押さえていただきたい。「不思議」の中から5曲のセルフカバー、それから未発表の”不思議”というタイトル(不思議な流れです)の曲が収録されていますが、こちらはミックスが通常営業で、歌が聴き取りやすい(!)。先のアルバムのようにディープな音響処理は施されておらず、ごく一般的な仕上がりとなり楽曲の純粋な質の高さに触れることができます。あとは、率直に申し上げてやはり普通の音源の方が売れそうだなということが実感されます。
はと
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