『たまこラブストーリー』が完成させた“日常系”

2014年の2大ニュースといえば“福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ制覇”“『たまこラブストーリー』の劇場公開”だった事は記憶に新しいですが、今回は公開からちょうど1年経った今、もう一度『たまこラブストーリー』という映画に関して自分なりに感想を纏めたいと思います。

『たまこラブストーリー』は京都アニメーションにより2013年に放送されたTVシリーズ『たまこまーけっと』の続編として製作された劇場用の作品でした。監督は『けいおん!』の山田尚子監督です。映画は公開直後から各所で評判となり、ネット・SNSを中心に非常に高い評価を獲得して第18回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で新人賞を受賞、映画レビューサイトの”Yahoo!映画”や”Filmarks”でも軒並み高評価を維持しています(ちなみに自分も昨年の劇場映画ベスト5に選出したりしてました)。上映館数、上映期間も公開中に大きく伸び、イベントでのリバイバル上映も数多く行われるなども好評だったという裏付けになるかと。

ただ、そんな高評価を獲得した本作の知名度は体感的にそれほど高いとは思えないのです。理由としては

  • 『たまこまーけっと』というTVシリーズの続編であるため新規の視聴者に敬遠されたのでは。
  • そもそも『たまこまーけっと』自体、京都アニメーション作品として『けいおん!』『涼宮ハルヒ』といったシリーズに比べて浸透度が薄いのでは。
  • また、後に公開館が大きく増えたとはいえ当初は全国24スクリーンという小規模な公開であった事。

などが考えられます。しかし、こんな秀作が「一部の人たちが盛り上がってる、ファン向けの映画」なんてイメージのままで終わらせるのは本当に勿体無いと思うのです。ネットではTwitterをはじめ多くの場所でファンの方が『たまこラブストーリー』の魅力について語り尽くしてきて居るので、今更自分が話せる事があるのか?とも思いましたが、少なからず映画という文化に親しんできた僕の視点から何か書きたいと思ったので今回テーマに選びました。

さてさて長々と書き出しましたがそろそろ本題に。自分の思った『たまこラブストーリー』の魅力を大きく3つに分けてダラダラ喋りたいと思います。いやでも今回は結構真面目です、たぶん。

①正統派青春ドラマに真正面から立ち向かった「たまこ」

映画というのは興行なわけで、当然ヒットしなければ商売にならないわけです。ネットの普及により視聴方法が(違法なものも含めて)過剰に増えた今、劇場向けの作品というのは決して恵まれた環境ではありませんし、映画という文化自体昔ほどの影響力がなくビジネスとしての規模は縮小気味なわけです。

そういった中で映画は話題性を先行させる作品が増え、また脚本の圧倒的不足にも悩まされています(これは日本もハリウッドも同じ)。漫画原作作品の著しい増加にも顕著ですね。そんな話題性先行・原作ありきの作品が増加するなか、『たまこラブストーリー』は極めて邦画的な純な青春映画を、オリジナルの脚本で真っ向から撮った作品だと思いました。そんな『たまこラブストーリー』のあらすじはというと…

「1人の男の子が、好きな女の子に告白する」

…これだけです。マジで。それ以外の要素はほぼ無いと言っても良いです。人が死んだり、スーパーヒーローが集結したり、突然手に寄生獣が寄生したりしません。登場人物たちもまた、極々平凡な人達です。イケメン御曹司も空から落ちてきた美少女も居ません。基本ただの学生と、あと商店街の人くらいです(変な喋る鳥がテレビシリーズに居ましたが、映画ではほぼ出てきません)。つまり近年の青春映画、とくにアニメ作品ときては異常なまでに「平凡で庶民的」な訳ですね。これが僕には今の時代にむしろ「新鮮」とも感じました。山下敦弘監督か、はたまた小津安二郎監督の作品にも通ずる「圧倒的庶民感」にガッチリ惹かれてしまったわけです。

ただし、この作品は”シンプルなだけで面白みのない単調な映画”というわけではありません。それは後に書く映像演出において今までのアニメーションとしては異常なまでのこだわりと手間をかける事で、観客を飽きさせない工夫をしているからではないでしょうか。

もう手垢まみれで誰もやらなかった「日本的純恋愛青春映画」を、2014年に、しかもアニメーションで作って復活させた。これがどれほど素晴らしかったかというと、劇場で観終わった後に「あぁ…俺すげえ良い映画観た…」と客電が付いた後もしばらく放心してしまったくらいなのです。きっとこれから観る人もそうなるはず。だから観て。

②カメラワークに見る徹底された”リアリティ”

実はアニメってフィクションなんです!…って声高に言わなくても、アニメなんてもう1から10までフィクションなわけですよね。だってそもそも実写ですらない、世界そのものが存在してないわけですから。そして、それがアニメの強さであり、魅力なわけです。宇宙でロボットを戦わせても、大量の美少女を登場させても全部オッケー、つまり映像作品のジャンルとしてはもっとも自由度が高い点において実写や、あるいは特撮よりも遥かにイメージを出しやすいといえます。

が、『たまこラブストーリー』はアニメであるにも関わらず限りなく実写的な撮り方をしてる作品なんですね。もちろんキャラクターはデフォルメされたアニメ絵な訳で”じゃあ何が実写的なんだよ!”というと、それは“カメラ”なんです。

アニメ製作にカメラの制約はありません。キャラクターや風景をどんな角度で、どんな映像で撮ろうがそれは演出の自由な訳です。しかし『たまこラブストーリー』にはあたかもカメラが存在する、つまり「カメラがキャラクターを撮っている」という演出が徹底されている点が他のアニメ作品とは一線を画すといえます。

作中では(現実的にカメラを設置できそうな位置からの)固定カメラによる俯瞰的なカット、キャラクターの心情に合わせるかのように手ブレし、ピントがぼやけるカットなど実写的な手法が局所で見られます。僕はこれは岩井俊二監督の作品、特に『花とアリス』の影響があるのではないかと思いました。『たまこラブストーリー』は青春の輝かしさを映すかのようにら美しい光が差し込むイメージが強いですが、これは過去の岩井俊二作品におけるカメラマン・篠田昇氏のカメラワークでよく見られた演出の影響かなあと。若さの輝きと、揺れる心の動きをカメラワークで表現しているのではないでしょうか

そもそも京都アニメーションは『涼宮ハルヒの憂鬱』の0話「朝比奈みくるの冒険」でハンディカム撮影のリアリティを徹底的に描写し話題となり、また26話「ライブアライブ」では山下敦弘監督作品『リンダ・リンダ・リンダ』の演出をオマージュするなど実写的な撮り方に対してかなりこだわりを持っていました。『たまこラブストーリー』はそんな京アニの「アニメで実写を意識する」という撮り方の集大成とも言える出来だと思います。すごい。

③日常系を完結させた日常系

京都アニメーションといえば『らき☆すた』で日常系というジャンルを広め、『けいおん!』で日常系を完成させたといえる草分け的会社です(異論はあるかもしれませんが)。

日常系というジャンルはとにかく登場人物たちの関係性とか空気感が大事なジャンルなわけですから、それが壊されることは言わば「タブー」です。ましてはヒロインに恋愛がらみのイベントが発生するなんてありえないはずです。が、『たまこラブストーリー』はその暗黙の了解は堂々と破ってしまいました。いや、山田監督は多分破る気満々だったでしょう。

テレビシリーズだった『たまこまーけっと』は日常系そのものと言うべきほのぼのアニメで、デラという喋る鳥の存在こそ非日常的ではありましたが非常に呑気なものでした。もち蔵がたまこへの好意をぼんやり隠していたり「みんな今の関係が一番だよね?」と言わんばかりの雰囲気を晒していました(いや『まーけっとも』も勿論面白いですよ??)。

ところが、そんな『たまこまーけっと』の続編『たまこラブストーリー』は『まーけっと』での人間関係を大きく変えます。それは”もち蔵がたまこに告白する”事によって。普通グダグダと関係性が変わらない日常系というジャンルのはずなのに、もち蔵は告白してしまう。それも超ハッキリ、堂々と。これがどれほど大変な事か。絶対に変わらないはずの平和な人間関係が、ワンカットで変わる(そして恋愛を意識し始める前と後で大きく表情の変わるたまこの描写がまたすごい)。京アニは自分たちが牽引してきた日常系というジャンルを、自ら完全に壊し、そして完成させのです。続編映画という仕掛けを使って。日常系はもう”『たまこラブストーリー』以前/以後”といった語られ方をしなければならないとも思うほどです。いやほんと。

…終わりに…

今回はだらだらと『たまこラブストーリー』の素晴らしさを語り、どうにも纏まりのない文章になってしまいました。とはいえ公開から1年が過ぎた今も、僕にとってこの作品は少し特別なものなわけです。そういう意味でも、ここに感想を書けてよかったですね。皆さんも少しでも興味をもったら、レンタルでも良いので是非一度鑑賞を。そして

ありがとうたまこラブストーリー。


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