いつかばらけることを知ってる――Mourn「MOURN」

今日はバンドの紹介です。あんまり音楽に明るくないのにこういう記事を書くと音楽警察がすぐさまやってきて棍棒でボコボコに殴られるらしいんですが、ヒッソリコッソリやりますので今日のところはご寛恕願いたいところです。なんせ今もうすでに木曜日で時間に余裕がありません。

ところで、我々文化系のもやしマンは多かれ少なかれ「共同制作物」にあこがれる傾向にあります(ですよね?)。バンド、ゲーム、同人誌、諸々。ある者は完成してそこで辞め、ある者は次のステップへ、そしてある者は挫折してプロジェクトを放棄します。多くの人々が最初か最後の道をたどります(私は最後)。

次にすすんだところで先はなかったのかもしれませんし、あるいはそれと同じくらい、もしかしたら「あった」のかもしれません。そうした可能性が諦めた人々の慰めになることはしばしばありますが、まあ実際のところ、ほとんど「ない」でしょうね。深い友人になれる(かもしれない)人に会うチャンスは、ふつう多くありません。例えばサークルのような集まりのある大学ならまだしも、中学や高校で、偶然趣味が合う友達が数人いて、何かを共同で作って、評価されて、それで実際に世に出られるなんて、ちょっとした奇跡のような難易度ではないでしょうか。

今日ご紹介したいバンドは、そのちょっとした奇跡を実際に起こしてしまったバンド、「Mourn」です。


まぁ、私がウダウダ説明せずとも、以下の動画とPRサイトの文章読めば何がいいたいか大体わかっていただけると思います。どうぞ。



MOURN1

その成り立ちは、1996年生まれのJazz Rodriguez Bueno(ジャケット左:ギター&ボーカル)とCarla Perez Vas(右:ギター&ボーカル)という2人の若き才能の出会いに遡る。授業やクラスの男子のバカ話に退屈したという2人は 「外国の過去の音楽」である90年代インディー・ミュージックによって結びつき、楽曲制作に取り掛かる。後に加入したドラマーのAntonio Postiusはクラスメートである。また、15歳の最年少メンバーとなるLeia Rodriguezはバンドの中心核でもあるJazz Rodriguez Buenoの妹。レコーディング期間僅か2日間で制作した渾身のアルバムがセルフ・タイトルでもある本作だ。

MOURN

なるほどなァ~~~~~~~~~~~~~~~~

曲が良いのもさることながら、親友!妹!クラスメートの男の子!全員10代!そういうのもあるのか!ドライブ感を感じます。しかしそれでメジャーデビューできるというのは一体どれほどの幸運が必要だというのか…。
当然というべきか、歌詞にも何か若さの勢いのようなものが感じられます。

Boys Are Cunts

自分の魂をまだ恐れているの?

私がまだ血を流しているから

あなたはまだ路地裏の猫なの?

私が汚れているから

まだ中身は空っぽのままなの?

待って、思っていることを口に出さないの?

私に嘘はつかないで

まだ路上で泣いているの?

私がまだ血を流しているから

まだゴミみたいな気持ちなの?

私が汚れているから

まだゆっくり死んでいるの?

待って、一人ぼっちで寂しいなんて言わせないわ

私に嘘はつかないで

あーーーこれ言われてみたい。(個人差があります)
こんな様に歌詞でこそ「若い!」という印象ですが、かといって別に過剰な自意識にもがいているという風でもなく、twitterなど見ましても大変楽しそうに移動中のひとときなんかを過ごしているっぽい様子が垣間見えまして、ほっこり。という感じで大変愛らしさもあるバンドです。レコーディングの動画貼っときます。

多分単に好みの問題だと思いますが、女の子たちは二回に一回ぐらいめっちゃかわいく見えるので多分実物がすんごいかわいいんだと信じています。


正直に言って、私は「Mourn」に音楽性だけではない、何か、の魅力も感じています。そしてその何かとは、結局のところ「若さ」なのではないかと考えています。

ありとあらゆる意味で、若さとは限定されることです。資金も時間も活動場所も、していいことも限定されます。人間関係も、限られた中で何とかしなければなりません。そして何より、若さそれ自体が期間限定です。一方、それゆえに――外部から「限定」されるために――自分の限界は見なくて済みます。あるいはそれが、若い時期だけに持ちうる「希望」の、本当のからくりなのかもしれません。今日紹介した「Mourn」が眩しく見えるのも、期間限定であるがゆえなのかもしれない。でも、だからなんだというのでしょう?そのことは魅力をいささかも減じません。むしろ、今の自分ぐらいの年齢で、どうやったら彼らのように生きることできるか、私はそちらのほうに関心があります。

先日のmaezonoさんの記事とも関連しますが)多くの執筆陣のある20代後半という年代は、ちょうど限定が解けて限界が見え始める時期にあたるのではないでしょうか。現実的な制約が取れはじめ、自分との本当の戦いが始まる時期。「限界を定めるな」と簡単に人は言いますが、誰にだって限界はあります。結局あの時は結論が出なかったのですが、限界を見ないために積極的に限定すること(例えば、「今」に集中すること)は、一つの方策として有効なのかもしれません。

いつか終わりがあることを知っている。それでも、だからこそ、今やりたいこと、やるべきことをやる。Mogakuは(幸いなことに)いまのところ終了予定はありませんが、心もちだけでもそんな風にもっていたいですね。そのほうが、多分楽しいし。

三人で傘もささずに歩いている いつかばらけることを知ってる
加藤千恵


最後に、上と同じ曲を歌ってるデビュー前(らしい)動画を貼って終わりにします。
それではまた来週。

くろさわ

くろさわ

労働の対価をだいたい飲料に費やす水飲み百姓。飲み物以外の話もときどきします。
くろさわ

Tags: