シベリアでもがいた男

木曜日担当のくろさわです。普段はサラリーをもらって暮らしております。

書く記事の分野は、おそらく飲食関係や読書関係の記事が大半になるかと思います。本当は飲食関係の記事を書く予定だったのですが、いろいろとうまくはかどらず、今回は本について扱うことにしました。飲食のほうも後日まとめるつもりではいるんですが、執筆陣の中には「食べ物はすべてソイレントでいい」というディストピアSFみたいなことを言う過激派の人もいるので飲食記事は今後どうなるか…、まぁそれはまた別の話。今日は極寒のシベリアでもがいた詩人、石原吉郎についての話です。

 


石原吉郎…と聞いてもぴんと来る人は多くないでしょう。石原良純について調べる時に見かけた、という方も中にはいらっしゃるかと思います。 石原良純

あれヅラだったのか。

石原吉郎は1915年静岡県生まれ。1953年シベリア抑留から帰還。その後詩作を始め、1964年『サンチョ・パンサの帰郷』によりH氏賞(詩の芥川賞と呼ばれています)受賞。1977年、公団住宅の自宅浴室で亡くなりました。享年62歳。戦後詩の代表的詩人と位置づけられています。

石原吉郎

ヅラをとった写真ではありません。

彼は詩作の一方、複数のエッセイを残しました。彼自身のシベリア抑留については、「望郷の海」に始まるその一連のエッセイの中で触れられています。


ナチスの強制収容所についてであれば、名著「夜と霧」などの書籍をはじめとして、数多くの映画やドキュメンタリーなどが流通しており、そのへんの書店やレンタルビデオ店でも容易に知ることができるでしょう。一方、シベリア抑留についての作品は、扱った作品を思い当たる人のほうが少ないのではないでしょうか。距離的にははるかに近いにもかかわらず。

もし少しでも興味があるならば、図書館等で借りて読んでみることをおすすめします。石原吉郎の文章は、実際に体験した者が書いたという点、そして、彼が詩人として名を成したあと、いわば告白のような形で書いたという点で、非常に興味深いものになっています。一方それだけに、一筋縄ではいかない部分があることも事実です。

ナチスの収容所を扱った作品はしばしば、ナチス側/ユダヤ側という対立を軸にストーリーを描いています。もちろんわかりやすさはこの上ないのですが、そんなに単純なんだろうか、という気もしなくはありません(もちろんそうでない作品もあります)。石原吉郎のシベリアの収容所は少し趣が異なります。そこで主に描かれているのは、囚人同士の凄惨な対立、命の食い合いです。

例えば「ある<共生>の経験から」には、強制収容所で行われていた「食缶組」という制度について語られています。「食缶組」とは、食事の配給の際に使われる飯ごう(キャンプで飯を炊くときのあれです、多分)を共有する二人組みです。普通ならなんてことのないようなことですが、強制収容所ではそれが一変します。

”一つの食器を二人でつつきあうのは、はたから見ればなんでもない風景だが、当時の私たちの這い回るような飢えが想像できるなら、この食缶組がどんなにはげしい神経の消耗であるかが理解できるだろう。私たちはほとんど奪いあわんばかりのいきおいで、飯ごうの三分の一にも満たぬ粟粥を、あっというまに食い終わってしまうのである。結局、こういう状態が長く続けば、腕ずくの争いにまでいたりかねないことを予感した私たちは、できるだけ公平な食事がとれるような方法を考えるようになった。”

”…食事の分配の終わった後の大きな安堵感は、実際に経験したものでなければわからない。この瞬間に、私たちのあいだの敵意や警戒心は、まるで嘘のように消え去り、ほとんど無我に近い恍惚状態がやってくる。もはやそこにあるものは、相手にたいする完全な無関心であり、世界のもっとも喜ばしい中心に自分がいるような錯覚である。私たちは完全に相手を黙殺したまま、「一人だけ」の食事を終るのである。”

「食缶組」がつきまとうのは、食事のときだけではありません。

”一日の労働ののち、食事に次いでもっともよろこばしい睡眠の時間がやってくる。だが、この睡眠の時間にあっても、<共生>は継続する。…毛布一枚の寝具しか渡されなかった私たちは、食缶組どうしで二枚の毛布を共有し、一枚を床に敷き、一枚を上に掛けて、かたく背中を押し付けて眠るほかなかった…いま私に、骨ばった背を押し付けているこの男は、たぶん明日、私の生命のなにがしかを食いちぎろうとするだろう。だが、すくなくともいまは、暗黙の了解のなかで、お互いの生命をあたためあわなければならないのだ。それが約束なのだから。そしておなじ瞬間に、相手も、まさに同じことを考えているにちがいないのである。”

共に生きるということ。他者と生きるということ。社会生活の中で、私たちはなんでもないことのようにそれを行います。上のような異常な出来事は、強制収容所のような極端な場所だけでのことだ、と、もしかしたら言われるかもしれません。…果たしてそうでしょうか。他者と生きることの、いわば、「痛み」自体は、同じなのではないでしょうか?日常の中ではそれが軽微であり、ほとんどの場合無視され、意識されていないというだけで。強制収容所ではそれが煎じ詰められ、鋭く人を刺すようなものになっているというだけで。

だからといって、社会の放棄や、生きることへの絶望…といった所につながるわけではありません。むしろそれが封じられている地点でこそ、この文章の持つ意義が真に迫ってくるのだと思います。これを読めば何か解決する、というような代物ではありません。ただこうした表現のあること、そのこと自体に、私はいくらか救われたような気がします。


「シベリアでもがいた男」というタイトルを便宜上つけましたが、彼の体験自体は「もがい」たという性質のものではありません。むしろ「もがく」ことを禁じられた体験だったのではないかと思います。彼が8年もの抑留(!)の末日本に帰還したのち、シベリアの体験についてかろうじて語り始めるまで、およそ10年ほどの時間が必要でした。「もがい」たといえるのは、その語り始めるまで、あるいは語り始めてからのことだったのではないかと思います。

最後に、彼の残した忘れがたい詩をひとつ紹介します。石原吉郎については折に触れて記事にしたいですね。

世界がほろびる日に      石原 吉郎

世界がほろびる日に

かぜをひくな

ビールスに気をつけろ

ベランダに

ふとんを干しておけ

ガスの元栓を忘れるな

電気釜は

八時に仕掛けておけ


いきなりシリアスな記事になってしまって恐縮です。

それではまた来週。

くろさわ

くろさわ

労働の対価をだいたい飲料に費やす水飲み百姓。飲み物以外の話もときどきします。
くろさわ

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